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広島高等裁判所 昭和25年(う)1008号 判決

控訴人 被告人 沖野信一 外一名の原審弁護人

検察官 志熊三郎関与

主文

原判決中有罪の部分を破棄する。

本件を山口地方裁判所萩支部に差し戻す。

理由

本件控訴の趣意は、別紙控訴趣意書(追加の分を含む)と題する書面に記載の通りである。

第一点、は昭和二十五年八月十一日受理の起訴状には検察官の署名捺印がないから無効であり尚右起訴状と昭和二十五年七月二十九日附起訴状と内容において重複するところがあり同一事実につき二重の起訴がなされて居る、という主張である。

然し乍ら右八月十一日受附の起訴状と題する書面は、刑事訴訟法上の起訴状ではなく起訴事実の陳述の便宜上昭和二十五年七月二十九日附起訴状の内容を各被告人毎に整理記載した書面に過ぎないことは同年八月十一日の公判の調書中「検察官は昭和二十五年七月二十九日附起訴状(本日附整理した書面)及び同年八月九日附起訴状に基いて起訴状を朗読した」との記載によつて明らかである。起訴状の外にこのような紛らわしい書面を出すことは適当ではないが、右書面が起訴状であることを前提としての論旨は当つていない。

第二点、は原審が、訴訟費用を共犯者でなく単なる共同被告人に過ぎないところの被告人両名に対し、一つの主文を以て「訴訟費用中…………に支給した部分は、被告人両名の負担とする」と言渡したのは法令の適用を誤つたものである、というのである。

然し乍、ら右主文は「訴訟費用中…………に支給した部分は被告人両名の平等負担とする」との意味で、即ちその二分の一宛を各自に負担とする」との意味で、即ちその二分の一宛を各自に負担させる趣旨であり、訴訟費用中原判示の部分はいづれも被告人両名に直接間接に関係があるので、原判決が右のように判示したのは相当であつて、所論のような違法はない。論旨は理由がない。

第三点、は原判決が三個の事実を認定するのに、証拠の標目を一括羅列したのは違法である、というのである。

証拠説明として、証拠の標目を掲げることを以て足るとの規定は、どの犯罪事実をどの証拠によつて認めたかの形式的関連をも必要でないとする趣旨でないことは所論の通りである。然し乍ら原審が有罪と認定した三個の犯罪事実はいづれも昭和二十五年七月八日午前八時頃の正明市駅での事件であり、原判決挙示の各証拠は、右各事実のいづれにとつても直接間接の認定資料となつて居るのであるから、此のような場合に之等の証拠を一括羅列して右三個の事実に対する証拠説明とすることは、所論の形式的関連性を害することにはならない。論旨は理由がない。

第五点、は原審は、証拠調べの決定をする前に証拠調べを実行し、その後に証拠調べの決定をした違法がある、というのである。

記録を精査して見るに、原審における昭和二十五年九月十八日の公判で、検察官が証拠書類として甲第一号乃至第五号、証拠物として証第一号乃至第三号の取調べを請求し、弁護人が之に対し意見を述べたのに対し、裁判官が証拠調べの採否の決定をしない内に検察官は右甲号各証を順次朗読し右証第一乃至第三号を被告人等に示した上、裁判所に提出し、次いで弁護人は右各証拠を証拠とすることに異議なき旨述べ、裁判官は被告人等に対し、右各証拠につき一々詳細の質問をしてその弁解を求め、然る後に、右各証拠を証拠として採用する旨の決定を宣して居り、又同年十一月二十八日の公判で検察官から甲第六、七号証弁護人から弁第一号証の各取調べを請求したのに対し、右と同一の順序に従つて同様の手続(但し右甲第六七号証については朗読はなされていない。)が進められている。

即ち右の両場合共証拠調べをする旨の決定をする前に証拠調べを実行しているわけである。証拠調べは、証拠調べの決定がなされた後に行わなければならぬことは言う迄もない。証拠調べの決定前においても刑事訴訟規則第百九十二条により証拠書類又は証拠物の証拠能力の有無を判断する限度において(例えば調書につき署名の有無が問題になる時之を検する如き)形式上の点検をすることは許されるけれども、それ以上に証拠調べの実体を完了することは証拠決定前に許されることではない。証拠調べの決定前に、証拠の内容を知悉して了うことは証拠調べをするかどうかの判断に影響を及ぼすことになるからである。本件においては被告人等が起訴事実の大部分を否認して居ることでもあり右の点は特に重大であり、仮令前述のように右各証拠につき被告人側にその証拠調べに異議なく且之を証拠とすることに同意して居り、又結局は全部につき後に証拠調べの決定がなされて居ると言つても、実質的には、矢張り右各証拠の内容を予め知つたことが裁判官の証拠調べをするかどうかの決定をするにつき影響があつたと見なければならないのであつて、その意味において右訴訟手続上の法令違背は判決に影響を及ぼすこと明らかな場合であると言わねばならない。論旨は理由があり、原判決中有罪の部分は此の点において刑事訴訟法第三百九十七条第三百七十九条によつて破棄は免れない。

第六点、は原審は不適法な訴因の変更を許し之に基いて判決した違法がある、というのである。

原審の第五回(昭和二十五年十月二十七日)公判において検察官より本件公訴事実中「被告人両名は通称小桜、竹馬、吉村宏と共謀の上、昭和二十五年七月八日午前七時五十分頃大津郡深川町湯本駅下りホームに於て正明市行列車に乗車せんとする氏名不詳乗客より金員を窃取せんとしたるもその目的を遂げなかつたものである」とあるのを「被告人両名は通称小桜、竹馬、吉村宏と共謀の上、若しくは被告人沖野菊治は吉村宏と共謀の上、昭和二十五年七月八日午前八時頃大津郡深川町正明市駅陸橋に於て氏名不詳の降車客より金員を窃取せんとしたるもその目的を遂げなかつたものである」と訴因を変更せんことを申告し、裁判官之を許容したことは記録上明らかである。そこで右訴因変更の適否について考えて見るに、訴因の変更は公訴事実の同一性を害しない限度においてのみ許されることは刑事訴訟法第三百十二条第二項の定めるところであるが、右変更前と後の各訴因を比較して見るにその犯行の時間こそ僅か十分間の差に過ぎないが場所は湯本駅と正明市駅とで全く異つて居り、且被害者は「某」と特定していないのであるからこの二つは全く相異つた事実であつてその間には同一性は認められないと言わねばならない。従つて右訴因の変更は許さるべきではなく、之を許容した原審は訴訟手続についての前記法令に違背したものであること所論の通りである。そして原判決は右変更後の訴因に基いて被告人沖野菊治に対し該訴因につき有罪の認定をしているので右の違法は判決に影響を及ぼすこと明らかな場合であること言う迄もない。従つて被告人沖野菊治に関しては此の点からしても原判決は刑事訴訟法第三百九十七条第三百七十九条によつて破棄を免れない。以上の通りであるから、其の余の論旨については判断する迄もなく被告人両名に対する原判決中有罪の部分を破棄した上、刑事訴訟法第四百条本文に従つて本件を山口地方裁判所萩支部に差し戻すこととした次第である。

(裁判長裁判官 柳田躬則 裁判官 福本和四郎 裁判官 永見眞人)

弁護人の控訴趣意

第一点、原判決には形式的訴訟条件の欠缺を看過して有罪判決を為した違法がある。

(一)山口深川簡易裁判所に於て昭和二十五年八月十一日受理された起訴状には検察官の署名捺印が脱落している。(記録三六-三九丁)。こゝに刑事訴訟規則第五八条の立法趣旨を考えるに、それは公務員の作るべき書類に於て作成者の職責を明らかにしその職務執行の正確公明を期するにある。しからば右起訴状の如く作成者の署名捺印を欠き従つて果して公訴權を有する検察官によつて作成されたか否か疑わしい場合には該起訴状は無効と解すべきである。

(二)更に右起訴状(提出の順序に従つて丙起訴状と略称する。)と昭和二十五年七月二十九日附起訴状(甲起訴状と略称する。)とを対比してみると丙起訴状に記載された公訴事実と同一のものを全て甲起訴状の記載する公訴事実中に見出す。即ち丙起訴状は同一事件について既に公訴の提起が為されているにも拘らず重ねて提起されたものである。

従つて以上孰れの点によつても原審は丙起訴状の包含する公訴事実については(茲に謂う公訴事実の一部を原判決は認定事実としている。)公訴棄却の判決を為すべきであつた。処が原審はこの挙に出ず、有罪の判決を為している故原判決には刑事訴訟法第三三八条を無視した違法があると言わねばならぬ。これ破棄自判による公訴棄却の判決を求める所以である。

第二点、原判決は主文に於て「訴訟費用中証人中尾清、同秋山勉、同仲野久雄、同伊達初男、同森永和男、同三宅茂樹に支給した部分は之を被告人等の負担とする」と判示しているが、本件の如く二名の被告人が判決に於て単なる共同被告人とされている以上は各被告人について訴訟費用の負担を定めるべきである。これ刑事訴訟法第一八一条第一項の要求する処である。何故なら訴訟費用に関する限り裁判の執行が不能となるからである。要するに原判決には法令の適用に誤がある。

第三点、原判決は認定事実として沖野信一(以下信一と略称)に関する窃盗の事実、沖野菊治(以下菊治と略称)に関する窃盗未遂の事実を掲げ証拠として被告人沖野信一の当公廷での供述以下多数の証拠を慢然羅列している。証拠説明が証拠の標目を掲げることを以て足ること刑事訴訟法第三三五条第一項の明定する処ではあるが、然し乍ら同条は如何なる事実は如何なる証拠によつて認定したかの事実と証拠との形式的関連さえも要求しないものと解さるべきでない。果して然らば原判決には法令の適用に誤がある。

第五点、原審訴訟手続には次の如き法令違背がある。即ち(一)第一回公判期日に於て検察官より書証として甲第一号乃至甲第五号又物証として証第一号乃至証第三号の取調が請求されているが原審裁判官はこれ等の証拠について証拠調を為す旨の決定を為すことなくして検察官の書証朗読物証の展示を許容しているのみか、自らも証拠に関連して被告人等に尋問を試みている(記録一一〇-一一四丁)尤も事後に於て裁判官はこれ等の証拠を採用し物証を領置する旨の決定を宣しているが(記録一一四丁)証拠採否の宣言はこの段階に於て為さるべきものでなく又結局証拠決定が為された形跡がない。(二)弁論再開後の第六回公判期日に於ける前科調書(甲第六第七号)の取調についても前記(一)の場合と同様証拠決定が為されていない。更に加えてこの場合には原審裁判官は被告人側の同意があつて始めて証拠能力を付与される右書証について被告人側に同意するや否やを尋ねることなくして検察官の右書証朗読を許している。処で右(一)(二)の場合の如く違法な証拠調手続を経た証拠は刑事訴訟法が証拠裁判主義を標榜する限り証拠能力なきものとして排斥されるべきである。しからばかゝる証拠は証拠として採用すべきでない。然るに原判決は前記証拠の中甲第二号乃至甲第五号の各書証及び物証証第一号を罪証に供しているのであつてこれ原審訴訟手続の法令違背が判決に影響を及ぼしたものとして破棄の判決を求める所以である。

第六点、原審は不適法な訴因変更を許容しこれに基いて判決した違法がある。即ち原審第五回公判期日に於て検察官は昭和二十五年九月十八日訴因変更後の甲起訴状第一(1) の訴因(丙起訴状第四(1) の訴因と同じ)中昭和二十五年七月九日午前七時五十分頃大津郡深川町湯本駅下りホームに於て正明市行列車に乗車せんとする氏名不詳乗客より……以下省略……とあるのを昭和二十五年七月八日午前八時頃大津郡深川町正明市駅陸橋に於て氏名不詳の降客より……と訴因を変更し裁判所も之を認めているが新旧両訴因が同一公訴事実の範囲内にあるとは到底考えられない。何故なら犯行時間の差異及び犯行場所の余りにも懸隔していることが、両訴因の基本的事実の異ることを示している。故に旧訴因を新訴因に変更したことは刑事訴訟法第三百十二条第一項の所定の制限を逸脱したものと言わねばならぬ。然るに原審はこの検察官の不適法な訴因変更を許し且つ変更された後の新訴因について判決を為している。即ち原審の訴訟手続には法令の違背がある。

以上第二点乃至第六点に挙げた原判決乃至原審訴訟手続の欠陷は全て判決に影響を及ぼすこと明らかであるから孰れの点によつても原判決は破棄されるべきものとする。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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